ラグビーワールドカップが始まった。【コラム】

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ラグビーのワールドカップが始まった。
 まずは「日本―ロシア」戦を途中からTV観戦し、日本勢の4つのトライに拍手したが、生憎の左肩骨折で膝を叩くしかない。最初に目にした幻のトライが最もスリリングだった。アメリカンフットボールでいうタッチダウンがないとの審判に、流れを見ればOKと見たい多くの日本人が唸ったに違いない。
 相手が日露の「露」だからとはいわないが、対外国戦となると自国の敗北を願う輩はまずいない。「与し易し」とか「ここだけは」との下馬評もあり、前半終了間際の一発や、後半の順調な加点を安堵して見た。
 土曜日の「豪―フィジー」「仏―アルゼンチン」「NZ―南ア」戦もTVのお世話になったが、見る目が肥えたというか、強さと弱さの見極めが出来るようになったのか、冷静かつシビアに見えて、アナウンサーの絶叫が疎ましく鼻白む。
 肉弾戦だが、攻守の背後に知性がある。ガムシャラ同士がぶつかっているのではない。瞬時に起きる衝突と回避、潰されたのちの潔さと小狡さがルールを司るレフリーの判断に裁かれ、寛容の美徳がゲームを律する。ある種の達観に従い、ラッキーとか僥倖とかの軽薄な批評を超える圧倒的な強さに痺れた。
 「伊―ナミビア」戦は花園で見た。布施から東花園への普通電車はダイヤが乱れ満員だった。肩身を庇う隻腕が激痛の恐怖に怯え、全身を強張らせて人の流れに身を任せた。1年も前にゲットしたチケットを無駄にするか、二度とないチャンスを活かすか、二つに一つの決断は貧乏根性か数奇者の違いだろうが、拘るまい。
 永和駅から乗り込んだナミビアTシャツの大男たちに痛苦の悲鳴を噛み殺し、catB-10,000円の最安席ではしゃぐイタリア男達に心和み、日差しに焼かれ驟雨に濡れて1ゲーム。格差はあったが都合10トライ。いいものを見た。
 かつてはこのピッチに立ち、ルールも覚束ぬまま、戦法・戦略もなくロックで参戦、パスを受けたがために大阪府警のラグビー部OBの強烈なタックルを受け、躱しもできずにブッ飛ばされた1994年の秋を思い出した。
 さて、安倍政権第4次再改造内閣発足の直後である。NHKは新閣僚のインタビューをラグビー番組の隙間に挟んで流している。見るとはなしに斜めで見やるが、ここにも驚きがあった。誰とは言わぬが、政治家、閣僚のご面相とラガーマンの面貌と、どちらに知性を感じ、憧れを覚えたか、言うまでもなかろう。
 夏前の参院選で、無効票にするよりはと「N国」に投じてみたが、結果として手応えあり。「民主党」の政権奪取に投じた票は苦い思い出だが、いずれも変化を望む意思表示である。体制に関係のない投票行動しかできない筆者は、まったくもってのアホかいな?
 ついでに記すが、EU離脱で揺れるイギリスの首相と下院議長の面貌もラガーメンには及ぶことなし。世界の民は何を望むのか。スウェーデンの少女も民の一人、私も皆さんも、そのうちの一人。(醒)

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