「平城遷都」に 【コラム】

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「平城遷都」に続いて「古事記」と、1300年流行りだ。何を今更とは思うが、周年好みは人の世の常。皆既日食もそうだが、次は100年後と言われると、気にはなる。
 古事記に心惹かれて、昔に手にした筈の著者「藤村由加」の「暗号」シリーズを読み直した。書棚に見当たらず、アマゾンで調べると、安いもので売価1円!送料の250円も苦にはならない。
 時空を超えたその昔。朝鮮半島や中国大陸との距離感は、今と比べてどうか?100年前の明治45年の時点で1200年前を振り返ったのと比べてみても、それぞれに大違いだと、誰しも気付く。
 藤村由加の手法は、文字に記された言葉だ。中国語である漢字の、一文字ごとに含みがある意味と音(発音)、古朝鮮語の音、これらに仮託して綴ったやまと言葉を読み解こうというものだ。結論を先に言えば、学校教育で教える読み方が、実に間抜けた理解でしかないことを暴露する、悪魔的とも言うべき試みである。
 以前に読んだときはハングルとは無縁で、納得しようにもついていけないもどかしさを覚えたが、ハングルの音と朝鮮語の意味を多少は知って読み直すと、悪魔が囁く恐ろしいストーリーが、表からも裏からも、実によく見えてくる。
 例えば、萬葉集にある柿本人麻呂の「東(ひんがしの)野に炎(かぎろひ)の立つ見えて反見(かえりみ)すれば月傾(かたぶ)きぬ」(巻一・四八)。極めて平明、その情景が絵のように見えてくる、と教えられ、多くの人の記憶にも残っている歌だ。
 この原文は「東野炎立所見而反見爲者月西渡」と、僅か14文字の漢字であり、いわゆる漢文だ。藤村流に読み解くと「あの世とこの世の境の野/この東野に/亡き草壁皇子のお姿が/炎のように立ち現れる/懐しい想いでいるというのに/皇子はふたたび冥界へとむかわれる」(「人麻呂の暗号」より)となる。
 恨みの籠もった政治的メッセージとも受け止めうるこの読み方と、学校教育的読み方と、是非を問うつもりはないが、並べて比べる読み方は教えられない。今更に改めるとなると、先学の業績も権威も、その伝道者たちの佇まいも、全てを御破算にして再評価しなければならない。そういう意味で実に恐ろしいメッセージなのだが、大方には目されているのが現実だ。
 「斜めから……」と題する当コラムも恐れ入った。右斜め、左斜めと両方から、あるいは角度の違う複層的な斜めの視線。ものごとの見方、読み方は一筋縄ではない。(醒)

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