時代が変わった 【コラム】

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時代が変わった。大仰な言い方になるが、明治維新か終戦玉音放送を思えばいい。歴史上の一大事になぞらえてピンとこないなら、バブル崩壊後の長い不況を思い出すといい。
 その間に何が起きたか。銀行が破綻し、証券会社が潰れ、保険会社まで消し飛んだ。我が身と我が命がいったん消滅して、何か別物に生まれ変わったわけではないから、急激な変化とは気付かなかったかも知れないが、よくよく考えてみれば、周囲も自分自身も、モノの考え方が大きく歪んでしまったのではないか。
 それと同じことを想起すればいい。同じどころか、より激しく、もっと極端な変化が急速に押し寄せ、そして、瞬きをしている間に通り過ぎて行ってしまった。恐らく、多くの人が気付かないうちに、コトは済んでしまったのだ。そのことを指しての冒頭の言葉なのだが、今ごろ言い出すこと自体が時代遅れかもしれない。
 何がどう変わったか。手短に言えば、「今日はコレぐらいにしといてやるワ」という池野めだかのギャグが、もはや通用しなくなったということだ。
 『コレぐらい』とは、人間同士が互いに許容しあえる範囲のことだ。節度という言葉がピタッとくる。その境界線が消えてなくなれば、どこで止まればよいか分からない。
 格差社会という言葉がある。「どんな社会にも格差はある」と小泉純一郎は言うが、その格差を互いに許容し、節度を持って接することが、もはや出来ない。それを言いたかったのだ。
 見境のない時代である。強者が弱者を痛めつけるのが当たり前になってしまった。戦争や犯罪を思い描けば如実に分かる。異教徒をねじ伏せるブッシュ、自国民を苛む金正日、資本のルールを踏み躙るホリエモンとそれに続くハイエナのような奴ら。ホームレスを焼き殺した中学生も出てきた。どれもこれも、見境がない。
 そして、より身近にあって恐ろしいのは、見境のない犯罪と、見境のない取り締まりだ。エスカレートする犯罪に後から追いつく警察官は、これまで以上に闇雲に警棒を振るう。チンピラの悪行には防御のしようもあるが、権力の犯罪に抵抗するのは難しい。そんな事例が、毎日のように出てくることだろう。
 見境のない一撃が、いつ我が身に降りかかるか、十分に注意してほしい。(醒)

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