喉元にナイフ 【コラム】

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 喉元にナイフ、目隠し、手振りを交えた緊張感のない会話、という三種の場面が多くの人の目に焼きついた。「喉元に」を使わないメディアもあったが、いずれも、「日本人がイラクで人質」「自衛隊の撤退が取引条件」を伝えるのに、画像は文字情報を超える圧倒的な力を見せつけた。
 後にヤラセだと分かったことは別にして、三つの場面がどの順に起きたかを考えれば、なんとも不自然な組み合わせだった。どこか腑に落ちない違和感を覚えつつ、画像の存在自体は事実だからと、受け入れざるを得なかった。
 もう一つ。噴き上がる黒煙の衛星写真。顔中傷だらけの子供が横たわる写真。北朝鮮の列車爆発は、いきなり死者三千と大仰だったことに加え、彼の国特有の情報量の少なさも手伝い、今度は不審の念が先走った。「(あれだけの爆発で)電柱や電線が倒れもせず、切れもせず・・・」「子供の服が汚れてないのはどうして」と、遅れて出てくる画像がさらに、ニュースの真実性までを疑わせた。
 写真(画像)はウソをつく。騙しや脅しの道具にもなる。見たままを信じていいのか悪いのか。その特性を改めて考えさせる出来事が続いた。
 政治家や犯罪者の、欺瞞に満ちた言葉のメッセージに対しては、身構えることもできるし、真偽を計るフィルターにかけることもできる。だが、写真という情報は、感情を掻き立て、理性の障壁を突破して、直接、感覚中枢に到達する。
 残念ながら、受け手の側には、言葉に対するのと同じだけの免疫力がない。そんな弱味につけ込むのが、写真の強味。写真を、誰がどう使うかにより、作為はいよいよ増幅する。
 次に出たのは、何と、米軍兵士によるイラク人捕虜への性的虐待。これまた、写真ならではの告発だ。世界貿易センター崩落の衝撃映像を背景に、傲慢の極みに上り詰めたブッシュでさえ、弁解不能な写真を付きつけられ、謝罪に追い込まれた。
 嘘と隠蔽が日常茶飯事の昨今。官房長官の辞任もまた一種強烈な目くらまし。騙し合いを勝ち抜くには何でもアリと心得るべし。レースに加わるか否かは、人それぞれ。とはいえ、未だ脱落もせずにしがみ付きたい御仁なら、ハルウララの馬券を、よもや買う気はあるまいよなあ。  (醒)

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